合気道は護身術

合気道は護身術か

合気道は明治期に開祖である植芝盛平翁により創られた武道である。

 

 

合気道は素手で行うのがほとんどで、杖や木剣、短刀を使うこともある。
技を行いながら、精神的教えも根底に流れているといった、極めて思索的な面もある。

技は投げ技、固め技があり。固め技は関節を決める。
道場では年齢層も幅広く、まさに老若男女が集い技をかけ合っている。

だが、合気道は護身術になりうるのだろうか。

合気道を護身術とするためには

そもそも合気道は勝敗のない武道とされているはずだ。
そんな合気道を護身術とするのは、むずかしいのではないだろうか。

もちろん合気道を護身術として意識し、研究していれば違うのだと思うのだが。
たしかに「合気道は無敵だ」という内容をきいたことがあり、納得はできたのだが。

合気道は相手と対峙しない。自分が主となる。
「我は即ち宇宙と一体である」合気道を習うとよく聞かされる言葉だ。

凡人の悲しさで説明を何度も聞いて素晴らしさはわかっても、伝えるのが困難ではある。

合気道を護身術として使った例

「父親とけんかして、合気道では勝てないぞ」と言って辞めた人の話を聞いたことがある。
微笑ましい話だと思って聞いていたが。

合気道を護身術として使った例はといえば、綺麗な女性なのだが、彼女が言うには「夜道に不審な男性がいて、身体をさばきました」とのこと。
さばくとは、身体すっとかわすことである。

その話を、何故自分から事前に避けないのかと思いながら私は聞いたが。
他には、バイクで転倒時に受け身をとり無事だったとか、せいぜい伝え聞く武勇伝である。

 

合気道を護身術として考えてみる

合気道を護身術として考えてみると、稽古の時のように相手は技がかかるのを待ってはくれないだろう。
杖や木剣で礼儀正しく打ってくれないだろう。

さらに短刀の代りに包丁だったら、恐ろしくて取り押さえられるだろうか。
自分としても出来て身体をさばくことぐらいだろうか。

合気道を護身術として、とっさに相手の腕を取り…自信がない。
なにせ合気道は初心者相手だとかかりづらいのだ。

そしてかかるまいとしている人には、なかなかかからないものだ。
火事場の馬鹿力でなんとかなるものなのか。

子供の時分、兄妹けんかをしたことを思い出しても首をひねりたくなる。
合気道も利用しながら、他のやり方で相手を倒すことを考えた方が良いのではないか。

合気道で倒すなら、技もだが、相手と対峙しない…相手のペースにのらないようにするしかないのではないだろうか。

合気道の護身術実践

合気道は精神鍛練も含むためか、感がよい人が多い。
若しくは道場の空気が感を良くさせているのかもしれない。

自分や他人の感の良さにびっくりさせられることがあるのは道場内だけだから。
相手の気持ちが伝わり、声にでない言葉が伝わることがあるのだ。

だから、合気道を護身術として考えるならば、そうした感を利用し事前に危険をさけるとか。
危険なところに近づかないというほうが実践的といえるのではないだろうか。

 

 

2010年3月09日

胸にしみたアニメ・漫画のセリフ
お前に出来ない事は俺がやる!俺に出来ない事はお前がやれ!